サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福 | ユヴァル・ノア・ハラリ, 柴田裕之 |本 | 通販 | Amazon
内容
人類の進歩の過程、特に認知革命と科学革命というステップの影響。
以下、注目ポイント
第一部 認知革命
一章 唯一生き延びた人類種
道具の製造は250万年前までさかのぼる。
小さな子供と自分を養うだけの食物を自力で獲得するのは困難なので、進化は強い社会的絆を結べるものを優遇した。
初期石器の一般的用途は骨の中の骨髄をすするためと考える研究者もいる。これこそニッチだったと。
火を使うようになり、消化器官が短くなった。
二章 虚構が協力を可能にした
約7万年前から様々な道具を作り出すようになった。これは認知的能力に起こった革命の産物だとされる。
人間の言語はどういう部分が特別か?それは柔軟性にある。限られた数の音をつなげて文章を作り出せる。危険や食料の情報を複雑なものでも伝えられる。別の説では、伝えるべき情報として最も重要なのは人間についてであり、噂話のために発達したというものがある。
人間の言語の特別性は、伝達の能力ではなくまったく存在しないものについて伝達する能力にある。見たことも、触れたことも、匂いを嗅いだこともないものいついても話す能力があるのが人間。
無数の「赤の他人」と協力できる。
虚構の登場、共通の神話を信じることによって見知らぬ人同士で協力できるようになった。
人間は二重の現実に暮らしてきた。物質的存在がある客観的現実と神や国民や法人といった想像上の現実だ。
神話は作り替えられる。一七八九年のフランスように一夜にして王権神授説から国民主権に鞍替えすることも可能になった。それはやはり言語と虚構によってだ。
遺伝子と関係なく後世に何かを残せるようにもなった。聖職者や仏教の僧侶や中国の宦官だ。彼らは自然選択の原理に反する。
三章 狩猟民族の豊かな暮らし
豊富な物質的資源と長寿は、疎外感や憂鬱な気分を抱かせたり、プレッシャーを感じさせたりする。
古代コミューン説
感染症のほとんどは家畜に由来していて、狩猟採集民族はそうして疫病から免れていた。
人類七万年のうちの発掘困難な六万年を重要なことをしていないなどと切り捨ててはいけない。
四章 史上最も危険な種
オーストラリア大陸への旅は非常に重要。生態系を破壊しつくした最初の例。
ユーカリの木は火事に非常に強いので広がった。
第二部 農業革命
五章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
家畜化や栽培できる動植物はほとんどなく、可能な動植物が存在する地域が農業革命の舞台となった。
栽培の恩恵とは単位面積あたりの土地からはるかに多くの食物が得られ、人口が増えていくことだった。
子供が増えていくこともや定住地が感染症の温床と化すことも理解できなかった。
贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせるという歴史の鉄則
六章 神話による社会の拡大
農耕に適した地上のうち2%の土地が歴史の舞台となった。
農耕民と空間が縮小する一方で、時間は未来の展望という形で拡大した。
ハンムラビ法典では女性や子供は男性の財産であるというヒエラルキーだった。一方アメリカの独立宣言は人々の平等を謳う。想像上の秩序こそが多数の人間を効果的に協力させる唯一の方法なのだ。
社会秩序は軍隊が守っているのなら、軍隊の秩序は何が守っているのか?何か心から信じているものがあるのだ。
外国で休暇を過ごしたいという欲望さえ自然なところも明白なところもまったくない。
ロマン主義という神話。決まり切った日常から脱出せよというものだ。
ピラミッドを欲しがらせる神話について問う人はほとんどいない。
共同主観的秩序とその連鎖。大企業を消滅させるには法制度を、法制度を変えるには国家を想像上の秩序を破壊するにはより強力なものをよういするしかない。
七章 書記体系の発明
人類のゲノムには蜂のような階級の区分など存在しない。
シュメールの最初期の書記体系は不完全な書記体系であった。
ファラオの時代のエジプトや古代中国やインカ帝国とともにシュメールが際立っているのは、書き留めた記録を補完しその目録を作り、それらを検索する優れた技術を開発したからだ。
整理係や会計士は書類整理用のキャビネットのように考える。書記体系は世の中を眺める方法を変えたのだ。
八章 想像上のヒエラルキーと差別
ほぼすべての社会で、穢れと清浄の概念は、社会的区分や政治的区分を擁護する上で主要な役割を果たし、無数の支配階級が自らの特権を維持するために利用してきた。
不正な差別は時間経過によって悪化することが多い。
「自然な」と「不自然な」という概念は生物学ではなくキリスト教神学に由来する。
第三部 人類の統一
第九章 統一へ向かう世界
どの文化にも典型的な信念や規範、価値観があるが、それらはたえず変化している。
平等と個人の自由は矛盾する。
「私たちVS.彼ら」という進化上の二分法を最初に超越し、人類統一の可能性を予見しえたのは貿易商人や征服者、預言者だった。
第十章 最強の征服者、貨幣
物々交換の限界。様々な相対的な価格を知る必要がある。
金の福音。地中海沿岸の人々が金を欲しがれば、インド人も(貿易商人を通じて)金を欲しがるのだ。貨幣は言語や国家の法律、文化の規準などよりも心が広い。そして宗教や性別、人種、年齢、性的指向に基づいて差別しない。
第十一章 グローバル化を進める帝国のビジョン
キュロスはユダヤ人を支配しているペルシアの王だとは考えておらず、彼はユダヤ人たちの王でもあり、だからこそ彼らの福祉にも責任があった。
「彼ら」が「私たち」になるとき。法律や書記の統一は手間を省くためのものだった。
文化の継承を考えるとき、過去を単純に善人と悪人に分けたところでどうにもならない。
新しいグローバル帝国。国家は独立性を失っている。
第十二章 宗教という超人間的秩序
普遍的で、宣教を行う宗教は、紀元前1000年紀に表れ始め、これは歴史上屈指の重要な革命だ。
アニミズムから多神教に移り、動物などは人類と神々の関係とした一大ドラマのエキストラ、あるいはものいわぬ舞台装置となった。
善と悪の戦い。多神教は一神教だけでなく、二元論の宗教も生んだ。全宇宙は善と悪の二つの力の戦場で、世界で起きることはその争いの一部と説明される。
自由主義的な人間至上主義は神を否定せず、一神教であるキリスト教に基づいている。各個人には自由で永遠の魂があるとするキリスト教の伝統的な信念の直接の遺産だ。
社会主義の人間至上主義もあらゆる魂は神の前に平等であるという一神教の信念の焼き直しだ。
第十三章 歴史の必然と謎めいた選択
二次のカオス系。予想に対して世界は反応するので、予想しても結果は変わってしまう。石油価格や政治がそうだ。
第四部 科学革命
第十四章 無知の発見と近代科学の成立
無知を認める意思は近代科学を従来の伝統のどれよりもダイナミックで、柔軟で探究的にした。
科学自体さえも、研究を正当化し、必要な資金を調達するには宗教的な信念やイデオロギー上の信念に頼らざるをえない。
十九世紀までは、軍事面での革命の大多数はテクノロジー上ではなく、組織上の変化の産物だった。
進歩の理想。科学革命以前は、人類の文化のほとんどは進歩というものをしんじていなかった。
第十五章 科学と帝国の融合
ヨーロッパの近代科学と近代資本主義。テクノロジー上の著しい優位性を享受する以前でさえ、科学的な方法や資本主義的な方法で考えたり行動したりしていた。
歳月を経るにつれて、知識の征服と領土の征服はますます強く結びついていった。軍事遠征には科学者が同行した。
分からないのはしりは地理学者であった。そして他の分野でもわたしたちは分からないものがあると認め始めた。
中国の明朝の武将、鄭和が率いた艦隊はヨーロッパ人の発見の航海の先駆けであり、規模も上回っていた。
帝国主義的イデオロギーに占めていた人種差別の位置には、今や「文化主義」が収まっている。
第十六章 拡大するパイという資本主義のマジック
投資とは、想像上の将来に対する信頼で成り立っている。
グローバルなパイが拡大するに違いないという信念は、最終的に社会に革命的な変化をもたらした。
スミスは念仏でも唱えるように「利益が拡大したら、地主や織屋はさらに働き手を雇う」という原則を繰り返した。
ヨーロッパでは、国王や将軍がしだいに商業的な考え方をし始めた結果、商人や銀行家がエリート支配層となった。
自由市場というカルト。信じすぎるのも無邪気すぎるもので、政治的偏見いっさいない市場など、存在しえない。
第十七章 産業の推進力
じつは産業革命は、エネルギー変換における革命だった。エネルギーに限界が無いことを立証してきた。
産業革命は、第二次農業革命だった。
大西洋奴隷貿易も畜産業も悪意に動機つけられたものではない。無関心が原動力なのだ。
第十八章 国家と市場経済がもたらした世界平和
近代の時間。近代に起こった変化として伝統的な農業のリズムが画一的で正確な産業活動のスケジュールに置き換わったというのがある。時間にしばられるようになったのだ。
国家は新たな通信と交通の手段を手に入れ、公務員を政府が自由に活用にできるようになった。国家はコミュニティの絆を弱めるように動いた。個人になるのだと言い始めたのだ。
第十九章 文明は人間を幸福にしたのか
快感はすぐに薄まる。
幸せかどうかは、ある人の人生全体が有意義で価値あるものとみなせるかどうかにかかっている。
現代のもっとも支配的な宗教は自由主義だ。そしてこれは個人の感情を神聖視する。
西洋のニューエイジ運動は、仏陀の教えを自由主義の文脈に置き換え、その内容を一転させてしまった。
第二十章 超ホモ・サピエンスの時代へ
人類は自然選択の法則を打ち破り始めている。知的設計をその後釜にすえようとしている。
感想
エッセイと揶揄される通り、作者の考えが展開されるところが多々ある。学術本という帝ではないかもしれないが、新しい概念を教えてくれる。
章ごとのつながりがあり、次から次へと読みたくなる構成となっている。
線を引いたところが少なかったので、またちゃんと読み返したい。