harapeco20200309の日記

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【書評】斉藤孝 学校では教えてくれない 日本語の授業

学校では教えてくれない日本語の授業 / 齋藤 孝【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア

 

一限目

やりがいがある授業が大事。成長を感じられるように工夫する。新聞のような要約が出来るとか、エッセイがかけるとか。

まとまった量の文章の暗誦が効果的。日本語外国語問わず。

総ルビすればいいので、漢字レベルに文章レベルを合わせるのはナンセンス。

 

二限目

漢文の素読は、外国語習得の型作りにもなっていたし、日本語力も高めていた。

使う言葉によって思考様式が異なる。帰国子女が実際そう。

源氏物語はとてつもなくハイレベル。文豪も認めている。大和言葉と漢文が渾然一体となっている。

 

三限目

江戸時代の人は今とほぼ同じ喋り。

言文一致運動としての夏目漱石

男性の、文化植民地根性丸出しの漢文崇敬が、文章を難しくした。

坊ちゃんは落語扱いされた。しかし、漢文の素養もある。英語の翻訳のようでもある。

「書くように話す」極端に形式ばっていないなら問題ない。

一分間にまとめて話す。キーワードを多く含ませて、出来ればオチもつける。

原始的でシンプルなモノ、面倒くさいくらいの物の方が脳の機能を高める。

 

四限目

文学作品は太宰治が最初として読みやすい。

ミステリも良い。ジェフリー・ディーヴァー高野和明

字幕は高度な日本語力で作成されている。「字幕の花園」「映画字幕の作り方教えます」

翻訳文を読みこなすのも訓練になる。複文や代名詞の読み取りなど。

音読は黙読に比べ、話す行為と自分で聞く行為が発生し、文字と音とのタイムラグが発生することで体の中に入って咀嚼しやすくなる。

言葉の勢いも感じられる。「歯牙にもかけない」「猛き者も遂には滅びぬ」

 

第二部 日本語の魅力はここにある!

五限目

中西進「ひらがなでよめばわかる日本語」同音異義語には共通するイメージがある。

語群の共通イメージをくみ取れるのはネイティブだけ。

飽きるに満ち足りる意味があったりするのも

言語とは差異の体系(ソシュール)

「やばい」も「すごい」も似たような変遷

一文字でも意味がある場合も。イは神聖(イハフ、イク、イム)。チは呪力や霊力。

当て字も、意味を重ねて、言葉の奥行きを表現する手段。

「たまげた」も「魂消た」にルビを振った方が、核をとらえやすい。

 

六限目

日本語は音節が細かくなる。中国語とはそういった面でも異なっている。英語とはもっと。springは一音節なのに、スプリングは五音節。

子音だけの発音がない。

取り入れる時期で読みが変わる。老若男女と男女。コップとコーヒーカップ

いのちやきずな等の大和言葉は漢字よりも人を動かす。

「たとへば君ー四十年の恋歌」相聞歌、万葉集においても雑歌、挽歌と並んで大きな構成要素。

雑種文化、日本が好きで、世界も好き

日本語が同族かの証

外来語ーカタカナ語も日本語。組み合わせもある。チーム力、シズル感

映画を筆頭に英語以外の言語が遮断

 

七限目

ウミ・ヤマ・カワなど日本語の単語は2音が基本で、助詞と合わせて「二・二・一」か「二・一・二」で、これにより七五調が身に染みる。井上ひさし

上がって下がるリズムが作れる

テンポとリズムも意味同様に大事。走れメロス

声の高さに合わせて、喋る速度を変える。

音読しやすい文章と、しにくい文章は人によって様々。合うのものをテンションがあがるアンソロジーや、心が落ち着くアンソロジーなどと分類する。

翻訳者によっても、リズムがことなる。

 

八限目
九限目

紋切型も紋切型の表現

誤用も辞書に乗れば正用。言葉は生命であり、民主主義的。

ただ、なんでも誤用を肯定するのではなく、言葉の生命力に根差しておらず、学力の低さに起因するものは指摘するべき。「情けは人の為ならず」を放置すると、矛盾した意味が両立し、言葉として意味をなさなくなる。

型に忠実な新聞。型をくずしてこその文学者。

 

十限目

マナーこそが文明

敬語は潤滑油

敬語によって主語を省略できるようになった。コトアゲ。「天皇が~○○」という文が不敬。

源氏物語の現代語訳などの、美しい文章を音読したり書き写すと、敬語が身につく。

敬語は場を落ち着かせる。

 

十一限目

手書き文は唯一無二の思い出になる

キレのいい短い文を書く時は、手書きの方が良い

 

十二限目

なまの反応が学習効果を高める

質問に答える形で、語りを入れていくと、臨場感が生まれる。

 

感想

中期の目標を決めて、本を読んでいきたいと思えた。

身体的な動きを大事にし、脳内だけの交信(黙読、黙聴)を避けるべし、という内容が複数の章であって、日本語であっても音読していきたいと思えた。

言語と思考はお互いに強い影響を与えると考えているので、敬語や講義等での生の反応は大事にしたい。