教養としての宗教入門 - 基礎から学べる信仰と文化 (中公新書) | 中村 圭志 |本 | 通販 | Amazon
内容
諸宗教の内容に少しづつ触れていくというよりは、宗教そのものを相対化し突き放して概観したもの。
以下、注目ポイント
序章 何故「神」と「仏」が区別されるのか
言葉の意味内容としては「神」が「仏」に近づいていった。
仏教のロジックでは仏陀は神より上位。仏は神を心服させた。
第1章 世界の大伝統
コーランはアラビア語でなければ微妙な言葉のニュアンスが伝わらない。
第2章 神の物語と悟りの物語
ユダヤ教に始まる一神教は社会正義を求める神として認識されている。
搾取の構造から抜け出して新しい共同体をつくったというのは感動的なモチーフで、ユダヤ教から存在するものがたり。
イスラム教においてはイエスに匹敵するのはムハンマドではなくコーラン(預言)。言葉に神の姿を見ようとする。
多神教の「多」は信仰の地域差による「多」も含まれる。
禅宗は完全な自力修行で、浄土宗や浄土真宗は仏陀の恵みを頼りにする「他力」信仰でありキリスト教の発想に近い。
法華経では、釈迦は神格化され久遠の昔から久遠の未来まで存在する宇宙的仏陀としての二重のあり方がされるとされた。これはキリスト教もイエスをダブり存在としてとらえるのに近い。
第3章 信仰
人間は何か支えになるものを信じて生きているものだ。
宗教を実存的に解釈すること、本質は魂が深い体験をすること。
第4章 奇跡と呪術
宗教のかなり部分が病気治しや健康促進が占めている。
呪術の効果は個人的気休めとか社会的団結といった要素も含まれる。
第5章 戒律
戒律は目的であって手段ではない。仏教的にはそれ自体悟りの姿と言える。
第6章 儀礼
儀礼は舞踏や演劇に近い。しかし、主人公は脚本家の思想ではなくあくませ神仏あるいは伝統そのもであるという違いがある。
第7章 宗教の多様性と現代社会
たいていの宗教は共同体の安寧と個人の救いの両方を重視している。
諸宗教
ユダヤ教の「神」は世界を無意味に、無造作に存在しているのではなく何か良いものとして存在していると、自分の「作品」を眺めている。
キリスト教が独立した宗教となったのはパウロのおかげと言われている。
ムハンマドは多神教の中で生きていたが、キリスト教やユダヤ教を間接的に知っていた。唯一神を信じるということはこの世の諸々の権威を相対化して見るということであり、身分秩序のような差別に対して平等主義的な批判を行うということである。
仏教の独自性は理屈や観念に溺れないように説く点にあった。中道。
悟りが全生活的なものであればたくさんの具体的戒律いよって日々の生活を律する必要がある。それゆえ、初期の仏教は集団生活の中の戒律を重視した。
大乗仏教の「空」は虚しいということではなく、あっけらかんと言ったものに近く肯定的。
仏教はあらゆるものが無実体であると主張するが、ヒンドゥー教は神々の存在を認めている。
中華小宇宙の宗教的感性も日本同様曖昧さをはらんでいる。
漢字文化以前の神道が具体的にどんなものであったか、想像るしかないので、神道を日本固有の、しかも原初の質朴な真理を具えたものとしてイメージするのは、日本人のナショナリズム的感情を訴えるが思想として不安定である。
感想
読書後の満足感はそこそこ大きかったが、書き出してみると新情報は少なかった。
羅列的ではなく、宗教をそのものを概観しようというのは良い試みであり読みごたえにもつながっていたように思う。
「」が多用されていたのだけ気になった。