harapeco20200309の日記

カードゲーム 読書

デッキの中身 デモコン理論 パラサキス

 デモコン理論という言葉をtwitterで見て気になって検索をかけたところ、初心者はデッキが無くなっていくことを強く嫌うという旨の文言を見かけました。ここで、何故パラサキスを高評価している人がそこそこいたのかわかったような気がします。

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 例えばわるぼうを倒すべきかどうかについて、ボトムまで行かない試合ならば倒す必要がない(キーカードへのアクセスは変わらない ※サーチ関係の何かが無いなら)というのがデモコン理論なのですが、この理論、感覚的に納得できない人がそこそこいるようで、そういう人がいるということはデッキと手札をひどく混同している人がいるのではないかと思いました。

 デッキと手札を混同しているとどうなるのか?それはデッキの中身の強さがその後の動きの強さに与える影響への過大評価です。

 パラサキスについてdqrをやりこんでいる人ならゾディアックミネアでミラー意識か、テリーでドラゴンシールドを増やす等でしか使われることはないと分かっていたと思います。このカードが初心者の目を引いたのはずばり“デッキに強いカードを混ぜこめる”という点でしょう。実際三月レジェンドに行く過程で、パラサキスでメラゾーマを増やすビルドゼシカといった特殊でないパラサキスと二回出会いました。どれだけ勝ちにつなげてくれるカードでもハンドに迎え、コストを払わねば意味がありません。相手のデッキに強いカードがデッキにあるということは、相手に勝てるという訳でもありません。

 これはレベル80のピサロからよく地獄への生贄が飛んでくることへも通ずるものがあるように思います。手札に強いカードが来さえすれば勝てるという誤認からドローできるカードへの過度な期待が生まれるのだと思います。

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 デモコン理論を調べていくうえでプロスペクト理論という理論も見かけました。本当のところは複雑な意味合いを持っているようですが、人は損を(リスクを)回避する傾向にあるというのがその概要です。カードゲームに置き換えるならば人はライブラリーが燃えていくことに圧迫感を覚え、そして”たまたま”強いカードが燃えたときそれを確率的な事項を無視しつつただただ大きな損だと感じてしまうということです。裏返すとデッキに強いカードが存在するだけで得という錯覚も存在するのだと思います。