先進国との差として
①人的集約の程度
②アイデアの不足
③資料だけで信頼する空気感
④工夫によって、生活が良くなっていくという共通認識
①南米は一万年程度の歴史だが、アフリカは7万年以上。類人猿を含めればもっと長く人がアフリカに生息し続けていた。それ故、菌やウイルスは人間を活かさず殺さずの状態でとどめる程度に強力なものが多数発達している。ひとたび都市を築こうとすれば、疾病が蔓延しやすい。そもそも土地も利用しにくいし、言語や文化多様な状態で固定化していたところに無理に国境を引かれたので、連帯が難しい。分業もスムーズに進行しない。
②ソ連は軽工業では遅れていたが、核兵器とミサイル分野ではアメリカとも競っていた。アイデアの模倣は非常に強力で、存在さえ知っていれば製造できることも多い。
技術や資材的には第二次世界大戦前でも、米ソなら、原子爆弾の開発に着手出来たかもしれない。だからといって1920年、30年代の人々が間抜けということにはならない。
例えば、滑車やら手押し車やら、重いものを運ぶ創意工夫がなされないのは、そもそも類似のアイデアが無いから。また、周りにある物品の種類そのものが少ないので、生産物や収穫物にはそれぞれ特有の性質があって、育て方や扱い方にも特有のノウハウがある、という発想も発生し得ない。
③日本人も1930年でも、金融を信じれない人がいた。
現在でもスマホでの支払いや、ネットオークションを利用したがらない日本人は多い。
だが、日曜大工をするとして、店で売っている釘や木の板の品質が表示より劣っているかもしれない等と考える人はいない。
工業などで、直接原料をやり取りするとして、粗悪品を送り付けられる心配をする人も、先進国にはいない。
ところが、そもそもアフリカでは、何か創意工夫によって全体の負担を軽減できるといっても、各々の負担に応じた報酬が受け取れるか、完成品が盗まれないかなどの保証がないだろう。
④仮に一人の人間が何か画期的なものを思いついても、他の人の協力が無ければ成立しない。
例えば、両親は祖父母より良い暮らしをしているという話や、テレビ(同郷の人間が豊かになっている様)の恒常的な視聴などがなければ、そこで暮らす人は先祖代々の暮らしをこれからもしてゆくという世界観になる。
そのような人たちの助けを借りるのは難しいだろう。