harapeco20200309の日記

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【メモ】wikipediaの問題点

Googlewikipediaを検索上位から排除するべき。

 

物事を説明する時、解釈が入ってくる。wikipediaはそれを排除しようと試みている記述をしていて、それ自体が問題である。

自動車開発と道路の舗装は相補的な関係だったといえるが、フォードの両親がアスファルトの面積を広げたとは言えない。「クレオパトラの鼻」。因果関係の見出し方や、取捨選択や情報の順番だけで、読み手に与える印象を変化させることが出来る。完全な客観性を目指すなど愚か。

ただし、博物学的な事項に関してはその限りではない。つまり、南米の「未知の」植物のスケッチなら、だれの目で見ても共通で、その項目自体に意味があるだろう。しかし、wikipediaの項目はそのようなものだけではない。フランス革命も進化論も、ドードーの項目と同じ姿勢、調子で書かれていて、その点で完全な誤りだ。

更に、このような「大百科」自体が19世紀の遺物だということに気付いていない連中の文章、取り組みという時点で、格式を欠いている。

 

出典を碌に提示出来ていない点も見過ごせない。大学教授のあとに、小学生が上書きできるという性質が取りざたされるが、むしろ、大学教授が大学生のレポートよりも文章としての体裁を整える気が無い文章で書くかもしれない点の方が問題だ。記憶だけを頼りに教授が書いたものより、小学生が複数の書籍を参照しながら引用の仕方等に気を付けて書いたものの方が、広く共有される文章としてならずっと信頼できる。

 

総じて個人のブログ、覚え書きと同程度のシロモノなのだ。当然それ相応の扱いを受けるべきで、検索上位から排除されれば、上記のような問題は問題で無くなる。閲覧者も激減し、過大になっている信頼度も本来のものに近づくだろう。

 

・信頼度の絶対量と密度を分けて考えるべき。wikipediaでは、前者は高いが後者は低くなっている。

・人文諸学は上記のような因果関係に対しての主観性が含まれるのに、主観を排しようとしている点。

・自然科学では項目建ての仕方自体で読者を誘導しうるのに、それを見て見ぬふりをしている点で問題である。例えば解析学幾何学と数論とこれらから二つを組み合わせた項目の計6個の項目がある訳だが、これ以外の単元とこれら3つの単元のどれかを組み合わせた項目が全てがある訳でもない。つまり、単元ごとの連なりや関係の深さを主観的に判断して、項目が建てられている。これ自体が、ある分野内でそれを構成する単元同士の密接さへの理解を読者に誘導できる(している)例である。

また、項目で分けられている時点で、その二つの項目は同等の扱いを受けているかのようにも錯覚させられる。線形代数は高等で、素数論は下劣などということは無いわけだが、まったく同じ調子で解説するのもちがうと思う。

ちまたに存在する論文や教科書を参考にしているのだろうが、どれをどのくらい参考するかで書き手側が、単元同士の関係性を判断していることに変わりない。

・この主観的判断が生じていること自体は何の問題も無いどころか、当たり前のことなのだが、その当たり前が了解されているようには思えず、それゆえ客観性への過度な志向があるのだと考える。