harapeco20200309の日記

カードゲーム 読書

ジタンのしっぽと瀉血

ファイナルファンタジー9の主人公、ジタンを見たことあるでしょうか?

お調子者だけど決めるときは決める、かっこいいキャラクターなのですが、しっぽが生えているという身体的特徴があります。

ゲームをプレイ中、このしっぽを動かしているのを見てふと思いました。「しっぽを動かすとは、どのような感覚なのだろうか」と。

しっぽで何かに巻き付く様を想像しても上手くいきません。臀部に意識を集中してみても、当然のことながら何も始まりません。尾骨がありますが、そもそも、精々硬い床で腹筋するときくらいしかその存在すら感じません。

どうしようかと悩んでいると、まずは、もっと身近なところから考えみようと思い至りました。それは手の指でした。すなわち6本目の指を想像してみようとしたのです。

しかし、じっと手をながめていても、指と指の間をつついてみても指は生えてきませんし、新しい感覚がうまれて来ることもありません。もう片方の手でも、足でも同様です。この思索も行き止まりかと思いかけ、指を一本ずつ閉じたり開いたりしているうちに、なら「4本指を想像すればいいのではないか?」と閃きました。

すなわち、先に4本指の状態になりきり、そのあと実際の5本指の自分と同化すれば、新しい指という感覚が得られるのではないか?ということです。

これはいける!と思い、さっそく人差し指で試します。ですが、やはり人差し指は無くなってくれません。他の4本の指にだけ意識を集中しようとしても、指は厳然とそこにあります。

ごくまれに、それも一瞬、人差し指が消えるときもありました。そこ狙って、五本指の自分に戻るのですが、その時には4本指の自分は雲散霧消していて、新しいという感覚を得ることはできませんでした。人の感覚というのは強力なのです。

 

体の感覚ということでもう一話題。瀉血というのご存じでしょうか?

「使った、治った、効いた」という「3た論法」が広げる治療法の誤解:朝日新聞デジタル (asahi.com)

病気の原因をよどんだ血液だとし、その血液を抜くことによって病を治そうという治療で、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンもこの”医療行為”によって亡くなったそうです。

当然現代医学では否定されている治療なのですが、私がこの瀉血という概念を知ってから度々、もし自分が瀉血が正しい医療として認められていた時代に生きていたら、瀉血に反対するどころかむしろ推奨する側にいただろうなと思うのです。

というのも、お酒を飲んだときや水分を取り過ぎて、体がむくんだり、全身がだるいときに、決まって瀉血のことが脳裏をよぎるのです。外科的に血液を減らせばこの鈍く響く苦痛から解放されるのではないかと思ってしまうのです。

瀉血がどのくらいの症状の場合に行われていたのか詳しくはないのですが、血液が病気の原因考えられていたということだけでなく、このような体の感覚を根拠に存続していたのかなあと感じたりします。