harapeco20200309の日記

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【メモ】儀式の相似

儀式的な行為は、狩猟採集時代から存在する。ブルシットジョブという本に、男性がしていた狩りはカロリーや栄養価的には大したことない営為とあった。一方女性がしていた採集や内仕事こそが、生活に直結する行為であった。

 

歴史的にも、男性は無駄で見栄っ張りな仕事をしてきていて、女性は実際的な仕事をしてきたという印象になるかもしれないが、別の見方もある。儀式事自体への見解で、評価がひっくり返るのだ。

土着信仰レベルでも、現代の三大宗教でも祭事の中心は男性が担ってきた。祭事はその社会が正常に運行される為に必須の行為だった。それが男性に独占されてきたのだ。

今の価値観からすると、このような祭事は冷ややかな目で見られる。*1しかし、重要行事として扱われてきた期間の方が長いのだ。現代の目線によって価値が逆転している。

現代の政治も冷ややかにみられることが多い。大衆の実際的な経済活動こそが「現実」であるということだ。ここに狩り⇔採集、祭事⇔農耕、政治⇔経済の相似が見出せる。

政治家に女性が少ないことへの批判的な態度は、政治の実際性に対しての評価の高さ(ただの儀式ではないという認識)から来ている部分も多いが、儀式的な行為の男性の独占に対しての怒りも大きいと考える。儀式を冷ややかに見る人と、独占に怒れる人とでズレが生じている。

女性の席を増やすこと自体が目的と化している部分に対しての冷笑もあるだろう。その男女平等の活動も儀式かもしれない。

 

 

*1:現代人の虚無感とナントカ部族の充実感の対比を祭事に見出す向きもあるが、少数派