比較対象があると「理解」がされているという印象を与える。
前置き
https://www.jstage.jst.go.jp/article/biomechanisms/23/0/23_1/_pdf/-char/ja
例えば人間の特徴に関して、解剖学的な要素は類人猿との比較や、進化から見て取れる漸進的な変化が上記のようにまとめられる。
このような比較によって、人間の形質が際立たされることによって人間の解剖学的な特徴が「理解」されたことになる。
一方、生理学的な要素はこの限りではない。
神経伝達、ホルモンの種類、寒暖への対処、消化能力などにかんしての「理解」が上図のようにまとめられることはあまりない。
それは化石に残る情報からは確認できない事項というのが最大の理由であろう。
しかし、現存する霊長類と比較する語り口をほとんど見かけないのは、「理解」の仕方に関する慣習の部分が大きいように思う。
「理解」を示す別の方法として、隅から隅まで説明しきるものがある。
教科書・資料集的な説明こそがふさわしいとされている場合には、比較を以ての説明がなされないのだ。
認知機能に関しては、目的論的な言い回しが「理解」として好まれるように見える。
分類
上述を
①比較
②網羅
③目的論
と分けられる。
①は②や③の視点からすれば、放りっぱなしとも言える説明の仕方だ。
差があるからといって、機能や他の機構との相互作用を説明したことにはならない。
しかし、比較対象のことを別個に理解している(体でいる)ことで、差分を示すことが機能や役割に関する説明を滑らしてくことになり、それが「理解」の積算として扱われる。
②に関しては、正確な未来予測や、未観測だったが予測されていた事項の観測との一致などによって、洗練されより強固なものとして扱われていく。
③は、世間で思われているよりずっと話し手の匙加減によるところが大きい。
他人と共有できないとまでは言わないが、そもそもの目的の設定の仕方が話し手の文化的な常識に引きずられがちになる。
また、複合的なものも存在する。
例えば、草食動物と肉食動物の目の配置に関する説明の仕方は①と③を複合したものである。
『肉食動物の目は獲物をしっかり捕らえられるよう顔の前側(正面)に位置しており、両眼で見える範囲が広いです。ただ、片目だけで見える単眼視野は それぞれ左右80度程度しかなく、後方は全く見えません。
一方、草食動物の目は顔の両側(横側)に位置しており、外敵から身を守れるよう広い視野を確保しているといわれています。両眼での視野は狭いですが、それぞれ左右180度の視野をもっており、両眼合わせて350度を常に見渡せます。』
肉食動物と草食動物の視野の違い|倉敷成人病センター アイセンター
応用
(特に)遺伝機構に関してなどが、複雑だとか、人為的なものを感じる、などと言われてしまうのをたまに見かける。
これは「理解」に関して①の視点が抜けている場合だと考える。
漸進的な変化、あるいは同カテゴリーの別の種類のもの(この例だと脊椎動物や無脊椎動物全般との比較)と共通している部分が多分にあるということがないがしろにされていて、実際以上に神秘的なものとして扱われている。
揚力に関しても、①、②、③をめぐってのミスマッチが無理解を生んでいるように思う。
何を以て「理解」なのかは自明ではない。
「理解」ではなく「説明の仕方」の話ではないかとも思えるが、否定形で考えると通る。
何を理解出来ていないのかを突き詰めると、①、②、③に行きつく。
④や⑤があるかもしれないが。